みなさんこんにちは。2月の第一月曜は祝日で休みの方も多いのではないでしょうか?
2月5日はDía de la Constitución Mexicana、メキシコ憲法の日(正式名称は Día Nacional del Aniversario de la Promulgación de la Constitución Mexicana )です。1917年2月5日に現行版の政治憲法が公布され、同日に連邦官報に掲載され、同年5月に施行されました。
2月5日は、「メキシコ憲法の日」と呼ばれ、この国の「マグナ・カルタ」となっています。祝日のため、ほとんどの企業、学校、官庁が祝日の為お休みとなります。
マグナカルタとは、イングランドで1215年に制定された大憲章のこと。
そこで今回は、メキシコ憲法についてご紹介していきたいと思います。
メキシコ憲法とは
メキシコ憲法は、正式名称はメキシコ合衆国政治憲法といいます。先程も紹介した通り、制定されたのは1917年の2月5日。だから2月5日は憲法記念日になっています。この憲法が現行のもので、それまでの1857年メキシコ憲法の後継となっています。
この文書は、ケレタロ市で、ベヌスティアーノ・カランサ将軍が憲法上の大統領に任命され署名されました。 そのためケレタロ憲法とも呼ばれることもあるそうです。
1915年頃のヴェヌスティアーノ・カランサの肖像画。
独裁政治に反対する州知事や地方の有力者に支持され、メキシコ革命でマデロが右派に殺害された後、革命の指導者として台頭し、大統領に就任し現在のメキシコ合衆国政治憲法を策定した。
きっかけはメキシコ革命!
現行のメキシコ憲法は、1910年に始まったメキシコ革命に起因しています。メキシコ革命とは、ディアス独裁政権を倒したラテンアメリカ最初の民主主義革命。
当時メキシコはディアスの独裁政権時代。30年以上大統領を続けていたディアスの再戦を反対し、立候補したもののディアスが不当手段し再選を果たすと、マデロが国外追放されてしまいます。それに反対したサパタやパンチョ・ビリャなどが蜂起したのがメキシコ革命の始まり。
マデロは地主階級出身で、法の遵守と政治の民主化を目指していましたが、まもなくパンチョらを抑えることができなかったためクーデターが起きてしまいます。
跡を継いだのはカランサ。彼は独裁政治の反対と政治的自由、そして社会の安定を求めます。パンチョらとの戦いの末、立憲派であるカランサ政権が成立しました。
そんなカランサが作ったのが1912年に制定されたメキシコ合衆国政治憲法なのです。
メキシコ合衆国政治憲法の内容
メキシコ合衆国政治憲法は、 旧憲法との比較では、共和国大統領と共和国副大統領の再選が廃止されたことが大きな変更点の他に、当時世界で最も民主的な憲法だったことが大きな特徴で、世界ではじめて社会権を規定していました。
社会権、人権、連邦組織、国家の主権、三権分立、礼拝の自由、表現の自由、自由で世俗的な教育などの問題を取り上げています。
制定当時の内容で民主的と言われた理由は、
- 土地・水・地下資源など天然資源は根源的に国家に帰属すること→石油会社の国有化など
- 大土地所有の分割→エヒード制の開始
- 農民・労働者の基本的権利の保護(8時間労働制、最低賃金制、ストライキ権など)
- 信仰の自由を確定し、教会の特権的地位を否定→宗教の非政治化
などが組み込まれていたからです。
現在メキシコ憲法は9章136条から構成されています。 1912年の制定から現在まで700回以上も改憲されているそうです!
世界で初めて社会権が明記されたのは1919年のドイツのワイマール憲法と習った方も多いと思います。現在の日本の社会権では生存権について触れられており、メキシコの憲法には生存権は書かれていませんでした。
メキシコ憲法の歴史
それでは簡単にメキシコ憲法の歴史を振り返ってみましょう。
1824年 メキシコ初の憲法(メキシコ合衆国連邦憲法)
1824年にメキシコ初の憲法が制定されました。
第一帝政のイトゥルビデが退位し、メキシコ連邦議定書が提言されました。メキシコ初の大統領グアダルーペビクトリアがメキシコ初代の大統領に指名され、メキシコ初の憲法が制定されました。
これにより、メキシコはメキシコ合衆国と正式になり、メキシコの国家は主権を有しスペインから自由であることを第1条で宣言しています。
1857年 メキシコ2つ目の憲法(メキシコ合衆国連邦憲法)
続いてのメキシコ2つ目の憲法は1857年に制定されました。この憲法の特徴は、自由主義的な権利を確立していることで、言論の自由、良心の自由、報道の自由、集会の自由、武装の自由などが掲げられていました。
この頃からメキシコでは自由主義的な考えが広がり、先住民共同体やカトリック教会による財産所有を抑圧した本憲法はメキシコ国内で共和派と保守派で対立を生んでしまいます。
その結果、フランス・メキシコ戦争を呼び、メキシコ第二帝政が始まりました。
1912年 メキシコ3つ目の憲法(メキシコ合衆国政治憲法)
ディアス独裁政権の中で、民主主義的な考えがメキシコで広がっていきます。そのためメキシコ合衆国政治憲法では民主義的な考えと、社会権が明記されました。
当時世界では、中国の辛亥革命やロシア革命など社会主義が世界中で広がっていきました。また、革命中はアメリカが介入してきており、それに対する対抗として土地や国民は国家に帰属することもしっかり明記されています。
また、1920年代のメキシコ革命の展開の中で、民族主義的な文化運動が盛んになり、シケイロスなどの画家が活躍しメキシコの壁画美術が発達していきました。
最後に~2/5はメキシコ憲法の日!~
いかがでしたか?
メキシコの憲法について少し分かりましたでしょうか?この日は、国家事業の発展のための法的根拠を定めたマグナ・カルタの公布により、国が憲法上の秩序を取り戻したことを記念する日とされています。 ディアス独裁政権の後、メキシコを支配していた政治的混乱の終結を表していますが、その後も権力闘争と市民の武装闘争も続いていました。
この新憲法は136条からなり、現在まで約700回の改憲が行われています。こうして メキシコは民主的な連邦共和国として確立したのでした。
メキシコの国旗の意味はこちらから!
参考:https://www.calendarr.com/mexico/dia-de-la-constitucion-dia-historico/
参考:http://www.y-history.net/appendix/wh1402-075.html
カランサがケレタロで憲法を制定した理由は、マクシミリアンが銃殺されてフランスによるメキシコ介入を終わらせた場所だから、と言われています。