あなたはどれだけ知ってる?メキシコの世界遺産を完全解説!~中部編~

メキシコ国内の世界遺産特集、今回は『第2回 中部編』!
首都メキシコシティを中心に、日本人留学生やインターン生も多く滞在しているあの都市までを徹底紹介しちゃいます。

本題に移る前に、一つ謝罪を。
この記事では一部、筆者がメキシコ滞在時に撮影した写真を使用しているのですが、なんてったって曇りの日に撮った率が高い…!

筆者がメキシコ中部を訪れたのは8月の終わり。
メキシコは丁度雨季の真っ盛りで、特に夕方にかけてゲリラ豪雨が降ります。
この時期の観光の際には、雨具必須です!

前置きはこれまでにして、今回も遺産の世界へ!

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まずはメキシコシティにある3遺産!

メキシコシティ歴史地区とソチミルコ (1987年登録・文化遺産)

言わずと知れたメキシコの首都、メキシコシティ。
現在では約2,000万人が暮らす、ラテンアメリカ屈指の大都市となりました。

そんなメキシコシティ、古くはアステカ帝国の都で「石のように硬いサボテン」を意味する「テノチティトラン」と呼ばれていました。
元々はテスココ湖に浮かぶ島だったテノチティトランですが、アステカ族による沼地の干拓が行われ、14世紀前半に建設が始まったと言われています。

1521年、スペイン人征服者コルテスがアステカ帝国を滅ぼすと、彼は帝国の遺構を破壊。
更地になった都市の上に「ソカロ」と呼ばれる広場を中心に、現在の歴史地区で見られる碁盤の目状の都市を建設していきました。

現在歴史地区に残る、国立宮殿(Palacio Nacional)やカテドラルは18世紀頃までに完成したもので、コロニアル、バロックなど多様な建築様式が混在して建てられています。

ソカロに隣接する、メキシコシティの大聖堂。
メヒサボ
メキシコの国旗に描かれた『蛇を加えた鷲のモチーフ』の起源は、テノチティトラン創設の物語にあるんだ。

アステカ神話の太陽神、ウィツィロポチトリが下した「蛇を加えた鷲が、サボテンの上に止まっている場所に都市を築け」という神託に従って、テノチティトランは築かれたんだよ!

アステカ帝国の遺構はもう残されていないと考えられていましたが・・・。
1978年にカテドラルの北東側で地下鉄の工事を行っていたところ、なんとアステカ時代の石版が発掘されました。同地は現在『テンプロ・マヨール』として保存・調査が進められています。

大聖堂の裏手にあるテンプロ・マヨール。
現在は調査中なのか、周囲を囲いで覆っています。

photo by Laura Pontiggia

歴史地区と一緒に登録されているのは「花野の土地」を意味するソチミルコ。
浮島の間を繋ぐ運河が多い町として知られ、週末はメキシコシティ民の憩いの場となっています。

運河にはカラフルに装飾された船の数々が。
お祭りがある時は、装飾が更にレベルアップします。

photo by krebsmaus07

元々は『チナンパ』と呼ばれる、芦を積み重ねた土台の上に、沼底の泥や都市作りで出た有機廃棄物などを重ねて作った農業用の小島として成立したソチミルコ。
アステカの時代から、大都市の胃袋を支える農業地帯として機能していました。

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メキシコ国立自治大学(UNAM)のキャンパス (2007年登録・文化遺産)

多くの日本人留学生が学部、あるいはCEPE(言語学校)に留学するメキシコ国立自治大学、通称UNAM(ウナム)。

その歴史は古く、1551年に開学された王立メキシコ大学が起源とされています。
現在の中央都市キャンパス(Ciudad Universitaria)が建設されたのは、1949~1952年にかけての事です。
1968年のオリンピック開催に向けて建てられたスタジアムや、博物館・図書館、スーパーマーケットや映画館まで備わった大学都市の中にはバスが運行している程。

また、同時期に隆盛を極めていた「メキシコ壁画運動」の作品を有する建築物も有名。

例を挙げればキリがないのですが、
・オゴルマンが手掛けたモザイク絵画で飾られた「中央図書館」
・シケイロスが描いた「民衆から大学へ、大学から民衆へ」
・リベラが手掛けた「オリンピック・スタジアム入口」
等は特に広く知られています。

オゴルマン作のモザイク壁画と共に。
中央図書館の裏の広場が絶好の撮影スポット。

ルイス・バラガン邸と仕事場 (2004年登録・文化遺産)

20世紀メキシコを代表する著名な建築家、ルイス・バラガン。
彼が1948年から1998年に亡くなるまで実際に暮らしていた住居が、遺産として登録されています。

彼の作品はメキシコの強い日差しを計算に入れて設計され、庭園に溶岩やメキシコ独自の植物を取り入れたり、水を張ったユニークな空間がある事で有名です。
しかも、彼の建築技術は独学だったと言うから驚き!

彼が住居兼アトリエとしていたこの遺産も、ビビットな色遣いや水面を鏡のように使った空間、光と影のコントラストが特徴的です。

ビビットな色遣いと、柱の間から漏れる光とその影が印象的な廊下。

 

メキシコシティから少し足を伸ばして…

テオティワカンの古代都市 (1987年登録・文化遺産)

メキシコシティからバスで約1時間、メキシコ旅行者ならきっと1度は訪れるであろうテオティワカン遺跡。
2~8世紀に栄えた都市の遺構ですが、未だにどの民族がこの都市を築いたのかはハッキリしていません。

『テオティワカン』という名を付けたのは、14世紀に廃墟となっていたこの土地に足を踏み入れ、後にアステカ帝国を築くメシーカ人。
彼らは廃墟を、神々が集まって月と太陽を造った聖地と捉えていました。

最も有名な建築物は、対になって作られた『太陽のピラミッド』と『月のピラミッド』…ですが、どのような用途で使われていた建物なのかは分からないんだとか。
『太陽のピラミッド』は、夏至の日に太陽が目の前に沈むように星の軌道を計算して作られたと言われており、この建物を設計した民族の豊富な天文知識が窺えます。

2つある遺跡の入り口の1つから入場すると…。
目の前に『太陽のピラミッド』が!

 

パドレ・テンブレケ水利施設の水道橋 (2015年登録・文化遺産)

1555年から1572年にかけて、メキシコ州からイダルゴ州に跨って築かれた約48Kmに渡る水道橋。
名前の『パドレ・テンブレケ』は、地元の先住民共同体の協力を得てこの水道橋を作った修道士にちなんで付けられました。

ローマ時代のヨーロッパで確立された水道橋の建築技術と、材料となった日干しレンガを作るメキシコの技術が融合して造られた建造物です。

水道橋を中心とした水利システムには、貯水池や貯水タンクまで設けられていました。

photo by Jay Galvin

オオカバマダラ蝶生物園保存地域 (2008年登録・自然遺産)

オオカバマダラは、オレンジ色に黒の文様が入った羽を持つ蝶の一種。
冬になるとカナダやカリフォルニア州からメキシコ中部へ、『渡り鳥』ならぬ『渡り蝶』をする事で知られています。
小さな身体の中には、磁気のコンパスが内在されているんだとか。

年によっては10億羽を超える蝶がやって来るというこの保護地域。
森林地帯には枝に蝶がビッシリと止まり、蝶の重みで枝が折れることもあるんだとか。

Video by BBC News Japan

日本人に馴染みの深いこの都市も世界遺産!

日本企業の自動車やその関連工場、物流倉庫等の建設が進んでいるメキシコ高原中央部。
日本人に馴染みの深い街も多くありますよね。
古くからメキシコの銀生産や、キリスト教伝道の中心地として栄えたこれらの都市の多くも世界遺産に登録されていますよ!

グアナファトの歴史地区と鉱山

16世紀半ばに銀山が見つかったことで栄えた都市、グアナファト。
18世紀には世界の1/4の銀を産出し、莫大な富と共に街は発展していきました。
現在でも、鉱山跡は地下道として利用されています。

また、1810年のメキシコ独立戦争に繋がる、反乱軍の蜂起が勃発したのもこのグアナファトの近郊の街、ドローレスでした。
9月16日のメキシコ独立記念日には、当時の様子を再現し『¡Viva México!(メキシコ万歳!)』の叫び声を挙げて祝います。

現在のグアナファトは、カラフルな町並みの連なる風景で有名。
また、日本人留学生も多いグアナファト大学やフアレス劇場などを中心に、学芸都市としても知られています。
毎年10月にはCervantino(セルバンティーノ)と呼ばれる、芸術と文化の祭典が行われています。

グアナファトのカラフルな街を見下ろすと・・・。
映画『リメンバー・ミー』のモデルになったとも言われる町並みです。

photo by Russ Bowling

 

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ケレタロの歴史地区 (1996年登録・文化遺産)

現在では水道橋のある、美しい古都として有名なケレタロ。
スペイン語ではAcueductoと呼ばれるこの水道橋は、18世紀中頃に建設されました。

水道橋の終点にあるのが、サンタクルス修道院。
その脇でこんこんと湧き出ている水辺には、本来ならアフリカにしか生息していない植物が生えているんだそう。謎が深まります…。

現在ではワインやチーズの産地として知られるケレタロ。
かつては『メキシコ人が住みたい街No.3』に選ばれた事もある、という噂もあります。

ケレタロ近郊には、新大陸でキリスト教布教を行った修道会の1つ、フランシスコ会の拠点もあります。
スペイン風の建築と、先住民の文化を融合して作られた教会群もまた世界遺産に登録されています。

街の中に溶け込む水道橋。
ケレタロは、18世紀にはメキシコ第3の都市として知られていました。

photo by ArmandoLJ

サカテカスの歴史地区 (1993年登録・文化遺産)

街の多くの建物が赤っぽい石材で出来ていることから、別名『バラ色の街』とも呼ばれているサカテカス。
グアナファトと同様に、銀鉱山が見つかった事から開発が始まった都市です。

チュゲリア様式と呼ばれる、建物いっぱいに装飾を施した建築物が特徴的な町並みの中には、先住民文化の要素が含まれているとも言われています。

ピンクがかった町並みの続く、サカテカス。

photo by Michael Swigart

サン・ミゲル・デ・アジェンデ (2008年登録・文化遺産)

サン・ミゲル・デ・アジェンデはアメリカとメキシコを繋ぐ、銀や水銀の輸送路を守るために作られた要塞都市です。
ちなみに都市名の「アジェンデ」はこの街の出身で、メキシコ独立戦争の英雄であるアジェンデにちなんで付けられました。

遺産を構成している建物の多くは、18世紀に建てられたバロック様式のもの。
街の中心にある大聖堂は、ピンクがかった石で作られ西洋のお城のような雰囲気を醸しています。

現在ではギャラリーや雑貨店が並ぶ、アートの街としても有名。
また、仕事をリタイアしたアメリカ人の人気移住先としても知られています。

同市の周辺にある町、アトトニルコにある教会『ナザレのイエスの聖地』も一緒に世界遺産として登録されています。

御伽噺の世界に迷い込んだかのような、サン・ミゲル・デ・アジェンデの町並み。

 

モレリアの歴史地区 (1991年登録・文化遺産)

メキシコ独立戦争で活躍した神父、モレロスの出身地として有名なこの都市。
街の名前ももちろん、彼の名前にちなんで付けられました。

遺産は青と白のタイルで覆われたドームがある大聖堂や、アメリカ大陸で2番目に古い神学校、サン・ニコラス神学校などで構成されています。

現在は残念ながら、市内に麻薬組織の拠点が設けられ治安が悪化しています…。

先住民の協力を得て建てられた、モレリアの大聖堂。

 

グアダラハラの救貧施設 (1997年登録・文化遺産)

「オスピシオ・カバーニャス」と言った方が聞き覚えのあるかもしれない、この遺産。
19世紀に建てられた後、150年に渡って病院や孤児院、老人ホームなど、社会的弱者を救済するための複合施設として機能してきました。

建物の天井や壁には、メキシコ革命期の画家オロスコが描いた巨大な壁画があります。
スペイン人によるメキシコ侵略を描いた作品には、圧巻の一言。

巨大な複合施設、オスピシオ・カバーニャス。
建物の中は、全面バリアフリー設計になっています。

 

最後に

今回の記事では、皆さんにも聞き慣れた都市が多く搭乗したのではないかな?と思います。
次回はいよいよ最終回の「南部・独特な遺産」編。

テキーラの産地が世界遺産に登録されている、って皆さんご存知でしたか?
詳しくは次回の記事で、またお会いしましょう!

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